徳永博子Hiroko Tokunaga
長崎県生まれ。 福岡でグラフィックデザインを学んだのち、東京造形大学美術学部絵画科に入学し、ファインアートをを学ぶ。 「絵を描く」ことよりも「ものをつくる」ことの方が自分には合っていると感じ、自身の表現の可能性を探し、現在のアクリル板を細やかに削り出す現在の手法に至った。透明なアクリルの板にふわりと浮かび上がる精緻な模様。細やかな点と線の集まり。 ストロークの「集積」と、その重なりから「知覚」されるものを制作のコンセプトとしている。 近年、「始まり」を新たなテーマとし、従来の作品と並行してパフォーマンスや立体作品の制作にも注力しており、新たな展開を見せている。
INTERVIEW
あなたにとって、美術 / 制作することとは何でしょうか。
私にとって制作とは、世界を知るきっかけをくれる行為です。制作をする上でまず最初に始めることは、リサーチです。その都度、モチーフとなるものや事柄のバックボーンを調べています。一つ作品が出来上がるごとに、私の知識が増えていくので、リサーチは制作と同じくらい楽しい時間です。
いつから美術に興味を持たれたのでしょうか。
私の家は代々鍛冶の家系で、現在も自動車修理工を営んでいます。幼い頃から機械や金属に囲まれて育ち、早い段階で手を動かすことに興味を持っていました。大人になると誰しも自分の特性に合った仕事に着くと思っていたので、美術に限らずクリエイティヴなことをすると自然に決めていました。本格的に美術を志したのは10代後半、その頃は奈良美智や村上隆などスーパーフラットの世代がだったり、横浜トリエンナーレが始まったりと現代アートが非常に盛り上がっていた時期で、見るもの全てが新鮮で機会があれば浴びるように作品を見て、「これがやりたい」と確信しました。
アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか。
もの派やアルテポーベラの影響が強いと考えています。九州で美術の勉強をしていた時の先生方が、もの派の作家に強く影響を受けておられました。そのため自然と、絵具の一つとして「素材」を使う意識が芽生えたのではないかと思います。2005年、近代美術館での「もの派-再考-」展で初めてもの派の作品を多く見ることができました。もの派の作品は特に実物というか、現象を体感することが重要な作品が多く、あれだけ多くの作品に浴びるように触れることができたことは、私にとって重要な出来事だったように思います。
ちなみに、Donald Judd,Frank Stalla,Gerhard Richter,Joseph Beuysが好きな作家です。理由はもうここには、書ききれません。
転機となった作品があれば教えてください。
<focus>というシリーズの作品で、とあるAWARDでグランプリを頂き、作家としてのキャリアがスタートしました。いろんな要素を削ぎ落とした、とてもミニマムな作品です。作品を完成へと進めるということは、あらゆる可能性を捨てていく作業だと著名な作家がインタビューで答えているのを見て、全くその通りだと思いました。特に私は、いろいろやりたくなってしまう性分で余計なことをしがちだと自負しているので、制作中はこの作家の言葉を思い出して、気をつけています。
今後、作家としてどのような活動の展開を考えていらっしゃいますか。
今後の展望や今挑戦されていることなどありましたら、お聞かせください。
今後は、自分のテーマに沿った従来の制作と共に、別ジャンルの方々とのプロジェクトに関わっていいく予定になっています。あまり詳しくは言えないのですが、テクノロジーとアートで作り上げていくという話が始まっており、日々とても興奮しています。私にとってもはじめての挑戦で、あたふたしていますが、手探りで進めることの楽しさって計り知れませんね。また、ひとりっきりのアトリエを飛び出し、誰かとたくさんディスカッションをしながら制作していくことは新鮮で、大変貴重な体験をさせていただいております。早く皆様にお見せできるよう、頑張っていきたいです。